2012年1月20日金曜日

選択の科学


シーナ・アイエンガー

選択の科学


実証的研究によってわかった『選択』に関する多くの事実を紹介しながら、
『選択』するとはなんなのかに迫っていきます。

内発的動機づけにとって重要な要素のひとつが『自律性』です。
自律性とはすなわち自ら『選択すること』であると言えると思います。

本書を読むまで『選択』することは『善』であると思っていましたが、
必ずしもそうではないことを知りました。

誰にとって『選択』する行為が望ましいといえるのか?
どのように『選択』することがうまくいくのか?
どんな時に『選択』する行為を放棄すべきなのか?

様々な研究結果から、『選択』することを深く考察していきます。


個人的に気になったのは以下の3点です。

(1) 集団のためか、個人のためか

何が学習の動機づけになるかは属する文化で違う
個人主義的社会に暮らす人たちは、個人の意思が大切だということを幼い頃からことあるごとに叩き込まれる。
一方、集団主義社会に属する人たちは、義務を重視する。
一番重視されるのは『何をすべきか』と言うことである。

アングロ系アメリカ人は、非選択グループや母親選択グループより、自己選択が可能な選択グループのとき、最も成績も良く、課題に自発的に取り組も時間も長かった。
一方、アジア系アメリカ人は母親選択グループが、最も成績が良く意欲も高かった。

人が自分の人生にどれだけの自己決定感を持っているかは、環境に依存する。
つまり、その人がどれだけ個人主義的または集団主義的な環境に身を置いてきたかによって、認識が変わる。
だが、この認識は、選択の分配がどうあるべきかという考えにも、大きな影響を及ぼしているのだ。
自分を含め、人には大きな自己決定権があると考える人たちには、『からの自由』を好む傾向がある。
外部『からの』圧力が開放された状態である。
これに対して、この世の成功は運次第という信念の持ち主は『する自由』が優先される体制こそが公平だと考える。


(2) 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない

選択肢は7つまで!(とは、本文中ではっきりと言ってはいないが)


(3) 選択の代償

我が子に延命措置を施すかどうか否かという辛い『選択』を強いられた親達の調査を通じて、
①医師が決定する、
②選択肢が提示され医師が選択する、
③親が選択を強いられる、
場合、調査結果からは、親がみずから選ぶことは、むしろ後々までつづく後悔につながるということが明らかになった。

時に『選択』を放棄することが必要なことがある。
選択が人に及ぼす悪影響を軽減する方法が、徐々にわかってきた。
その方法とは、選択の幅をさらに広げることではなく、判断の一端を他者に委ねる、あるいは自分の行動に制約を加えることで、選択のプロセスを自分の有利に変えることである。


著者は最後にこうまとめています。

選択は人生をきりひらく力になる。
わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。
科学の力を借りて巧みに選択を行うこともできるが、それでも選択が本質的に芸術であることに変わりはない。
選択の力を最大限に活用するには、その不確実性と矛盾を受け入れなくてはならないのだ。

この本の原題は、選択の科学ではなく、『The Art of Choosing』です。

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