2011年3月24日木曜日

誘惑される意志


ジョージ・エインズリー

誘惑される意志


人は、しばしば目先の誘惑=望ましくない選択に負ける。

しかもそれは、無知のせいじゃない。

その誘惑に負けたら自分が何を失うか、どういう結果を招くかは十分承知している。

それなのに、同じ誘惑に繰り返しまける。

ダイエットに、禁煙、定期的な運動に、勉強。

それなのに、これまでの心理学、経済学そのほかのモデルでは、

これは説明できなかった。

本書は、双曲割引という概念を使うことで、これをきれいに説明している。


今回、本書をお勧めするわけではありません。

だって、きちんと読めてません。

っていうか、読んだけど、なにが書いてあるか頭に入ってきませんでした。

なんと、訳者までこういいきっています。

おまけに、著者は必ずしも読みやすい文の書き手ではない。
序文で著者は本書を『会話調』と称しているけど、
一読して『どこが!!?』と思うのが普通であろう。
こんな調子で会話をしたら、みんな逃げ出すぞ。
というわけで、本書は決してするする読める本にはなっていない。

でも心配要りません。

訳者が巻末で内容を要約してくれてます。

とりあえずはこれで十分でしょう!


(1)双曲曲線とは?



人は(ハト程度の動物でさえ)同じものをもらうなら
来月もらうよりも今もらったほうがいいことを知っている。
来年1万円あげるといわれても、いますぐ5千円もらったほうがいい。
1万円が人によって持つ価値は、
それがいつもらえるのかという時間に応じて目減りする。
そしてこれまでの普通の理論では、
一定時間ごとに一定割引ずつ割り引かれて目減りすると考えられていた。

ところが人間に実際にいろいろ実験してみると、
どうもそんな風な価値評価はしていない。
目先ではその割引は大きいけれど、ずっと先の話だとほとんど割り引かれていない。
この割引は、双曲線で示されているものと似ている。
これが双曲割引だ。

そして双曲割引のおかげで、小さい短期的な誘惑は近くに来ると急に大きく見え、
まだ遠くにあるもっと大きな長期的な見返りよりも、
一時的に魅力的に見えてしまう。
これが、人が誘惑に負けるメカニズムだ。


(2)誘惑に勝つための『意志』

だが人は、かならず誘惑に負けるわけではない。
そういう誘惑に対抗するための手口を編み出した。
それが意志というやつだ。
意志力がもっとも要求されるのは、誘惑に負けそうになるときでしょう。

そして意志を大きくするためには、
多くの長期的な見返りをグループ化して足し合わせるといい。
どうグループ化するかにはいろいろなやり方がある。
いろいろ試してみて、納得のいくカテゴリーを作り出して、
目先の誘惑がぐっと魅力的になったときでも耐えられるようにしておくわけだ。

2011年3月19日土曜日

人間この信じやすきもの


T.ギロビッチ

人間この信じやすきもの


原題は『How We Know What Isn't So;

The Fallibility of Human Reason in Everyday Life』
です。


人々が誤った考えを持ってしまうのは、

正しい事実にあっていないからというわけでない。

騙されやすい人や頭の悪い人が誤った考えを持ってしまうわけでもない。

多くの誤った考えはもっぱら認知的な原因によって生じてくるのです。

そんな人間心理について、いったいなぜ迷信・誤信を抱くのかを、

日常生活の数々の実例を用いて分析、整理していきます。


『経験知』を伝える技術では、

その人が持つ『信念』の影響を受けながら、

経験や知識が、ディープスマートを形成していくことを説明していました。

しかし、本著では、この『信念』がいかに、経験や知識の認知に影響を与えるか、

そして、逆に、経験や知識の認知によって、『信念』が変更、強化されるか、

そのシステムが詳細に説明されています。

医師は、自分がどのような『信念』を持っており、

それが、自らのディープスマートの形成にどのような影響を与えているかに

自覚的であるべきです。


認知的な要因について、説明されたのち、最後に、

種々の『非医学的』健康法への誤信

人づきあいの方法への誤信

超能力への誤信

について、解説しており、読み応えがあります。

特に非医学的健康法への誤信は、医者なら、知っておくべき患者心理です。

なぜこんなにも多くの人がこうした高価で、

時には危険でさえある治療法に頼ろうとするのか?

高価がないそうした治療を、

効果があるように感じさせてします何かがあるのです。


以下に、いくつかの認知的要因をまとめておきます。

誤信の認知的要因

1)ランダムデータの誤解釈

私たちは、外界に秩序やパターンや意味を見出しがちな性向を持ち、
物事が不秩序で、混沌として、無意味なままでいることに耐えられない。
人間の本性は、予期できない現象や意味のない現象を嫌うのである。
その結果、私たちは秩序がないところに秩序を『見いだ』そうとし、
偶然の気まぐれだけに支配されているものに意味のあるパターンを発見してしまう。

秩序やパターンを見つけ出したり、事物を関連付けたりする傾向も、
新しい発見や進展にとっては有効である。
しかしながら、問題は、こうした傾向が強すぎるために、
そして自動的に働いてしまうために、
ときおり実際には存在しないパターンや関連性までも見いだしてしまうということである。

『波に乗る』

20回コインを投げて、4回連続で表が出る確率は50%であり、

5回連続は25%、6回連続は10%あるから。

4回連続すると波に乗っている感じがするが、実際はよくあることである。

『偏りの錯誤』

ランダムな分布をしていても、私たちは同一タイプのものの偏りや連続が、

多すぎるように感じられる。

こうしたことが偶然に起きたことを受け入れづらい。

『代表性』

裏と表が半々になると言う大数の法則という典型例を一般化しすぎてしまう

『因果関係の理論づけ』

後付けでこじ付け的な説明をいとも簡単にできてしまう。

それにより間違った考えが補強される

『回帰の誤謬』:

回帰の誤謬というのは、単なる統計学的な回帰現象にすぎないものに対して、

複雑な因果関係を想定したりして余分な説明をしてしまうことを言う


2)不完全で偏りのあるデータの誤解釈

信念と合致する情報を過大評価してしまう。
信念の多くは、二つの変量間の相関関係についてである。
相関関係が成り立つ事例についての情報が過度に重視され、
仮説に合致しない事例についての情報は、否定詞の表現となるため、認知的処理が困難である。
したがって、共変関係を正しく理解することが苦手となる。
肯定的な事例を重視しすぎるために、本来存在しない相関関係を見つけ出してしまう。

そして、ある信念や仮説に関する情報を評価する場合に、
仮説に合致する事例を重視する傾向があるだけでなく、
もともとそうした事例を探す場合にも、
仮説に合致するものだけを探そうとする傾向があることが知られている。

相関関係を評価する必要なデータの一部しか入手できないとき(主に対照群)、
入手できないが重要な情報が存在していることを認めるだけでなく、
そうした情報がどのようなものであるかただしく特徴づけもしなければならない。


3)あいまいで一貫性のないデータの誤解釈

期待や予想、先入観が、新しい情報を解釈する際に影響を与えることは、
人間の判断・推論過程における利点にもなるし、欠点にもなる。
既存の信念に合致する情報は額面通りに行け入れやすく、
反対に、信念に反する情報は批判的に吟味されたり、割り引いて扱われたりする。
そこで一度持たれた信念は、新たな情報が提供されても、簡単には影響されないことになるのである。

人々は、自分の考えに反する情報よりも、
自分の考えを指示する情報をよく覚えていると信じられている。
信念に合致する情報は、信念や仮説を思い起こさせるからである。

『1面性の出来事』と『2面性の出来事』:

2面性の出来事よりも1面性の出来事のほうがより印象に残り誤信を持続させる可能性がある。
期待されることが確認されるか否かいう要因と、
期待が時間的に焦点づけられたものか否かという要因、
起こりうる結果の非対称性(快不快、パターン、定義上、生起率)は
人々の持つ期待や先入観に合致する情報をゆがめる働きをする。
2面性の出来事の場合は、信念に反する情報のほうが特に記憶されやすいが、
巧みに処理され信念に反しないようにされる。


4)誤信の動機的要因:動機によってゆがめられてしまう信念

人々は自分が信じたいとのぞむ事柄を、
ある範囲内とはいえ実際に信じてしまう傾向がある。
自分の好む結論と自分の嫌う結論とに別々の評論基準を用いがちだということである。
自分が信じたいと欲している仮説に対しては、仮説に反しない事例を探してみるだけである。
これは多くの情報が曖昧で多義的な性質を持っていることを考えれば、
比較的達成されやすい基準である。
これに対し、信じたくない仮説に対しては、
そうした忌まわしい結論にどうしてもならざるを得ないというような証拠を探すことになる。
これは、すっと達成が困難な基準である。


5)誤信の社会的要因

うわさを信じる:人づての情報の持つゆがみ

人づての情報に含まれる誤りがしばしば誤信の原因になっている。
誤りを含んだ情報から、正しい信念が作られるはずはない。
私たちがえる結論は、依って立つ情報の正確さによって決められる。
人づての情報は、誇張・省略されたり、有益さと面白さのために脚色されたり、
話し手の満足のために脚色されたりして、ゆがめられる。

情報源をよく確かめる、事実を信じて予測を疑う、誇張と省略に目を光らせる、
生の証言にだまされないようにするといった視点が必要である。


6)過大視されやすい社会的承認

他人はこう信じているだろうと考えていることは、
私たち自身が信じることに大きな影響を及ぼす。

『総意誤認効果』

私たちは、自分自身と同じ考えを他人がどの程度持っているかについて過大視しがちである。
そこで、私たちは、自分自身が持つ信念が実際以上に
社会的にも支持されていると考えることになり、
そうした信念は不当により強固なものになっていってしまう。

『他人からの不適切なフィードバック』

自分の考えが間違っていれば他人からのフィードバックによって
修正されるに違いないと私たちは普通考えている。
しかしこうした修正フィードバックは思ったよりも普通は行われないものである。


最後に、

誤信を持たないための処方箋を紹介します。

1)2×2分割表のほかの3つの部分はどうなっているんだろう?

2)すでに持っている仮説や信念でどんな結果でも説明づけてしまう能力を抑えるために、

逆の結果ならどうだろう、逆の信念だったらどうだろうと考える

3)人づての情報には注意を払う

4)他人からのフィードバックに注意を払う

5)規則性、回帰性に注意を払う

2011年3月12日土曜日

非営利組織の成果重視マネジメント


P・F・ドラッカー/G・J・スターン

非営利組織の成果重視マネジメント

現在も引き続き、

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

売り上げを伸ばしているようです。

そこで取り上げられているのが、本ブログでも多く登場している、

ドラッカーという経営思想家の『マネジメント』です。

しかし、もしかしたら、医療関係者には、非営利組織を対象とした、

本著のほうが参考になるかもしれません。


ドラッカーは、以下の『5つの質問』を通して、

『組織の自己評価』を行うことによって、

組織の使命や価値を明確とさせ、

成果に焦点を当てさせ、組織が成果をあげられるようになることを実現させます。


第1の質問:われわれの使命はなにか?

『使命:misson』とは、組織の活動の目的、組織の存在理由。

つまるところ、それをもってして覚えられたいこと。

『ビジョン』とは、組織にとって望ましい未来図を指します。


第2の質問:我々の顧客は誰か?

顧客には、活動対象としての顧客(第1の顧客)と、

パートナーとしての顧客(第2の顧客)の2種類があります。

まずは、自分たちの顧客が誰かを認識することが、次のステップにつながります。


第3の質問:顧客は何を価値あるものと考えているか?

最も重要な質問であるにもかかわらず、

最もなおざりにされている質問でもある。

リーダーは、これに勝手に自分で答えてしまう傾向がある。

顧客の声に耳を傾け、顧客は正しいとすることが原則である。


第4の質問:我々にとっての成果はなにか?

成果とは、常に組織の外になる。

つまり、人々の行動、境遇、健康、希望、

そしてとくに彼らの適性と能力の向上や変化によって成果を見ることができる。

使命を達成するため、何が価値があることが判断し、

成果を得るために、資源を集中させる必要がある。

第1の顧客の声に注意深く耳を傾け、

そして、成果は、定量的、または、定性的に評価できなければならない。


第5の評価:我々の計画はなにか?

そして、最後に、具体的な目標、つまりゴールを決定する。

目標は具体的、かつ評価可能でなければならない。


以上の5つの質問を、繰り返しながら、組織は行動し、成長していくことになる。

2011年3月5日土曜日

まぐれ


ナシーム・ニコラス・タレブ

まぐれ

原題は『Fooled by Randomness』です。

大学では不確実性の科学を教え、

マーケットでは特異なヘッジファンドを運用している投資のスペシャリストが、

トレーディングと人生において

『運』と『実力』の区別がどれほど難しいか、

また、人間はなぜ自分の知識を過大評価するようにできているかについて、

行動経済学、心理学、哲学などによって明らかにしていきます。


『運』を『能力』と取り違え、

『偶然性』を『必然性』と取り違え、

『確率的』を『確定的』に、『信念』を『知識』に、

『理論』を『現実』に、『逸話』を『因果』に、

『予測』を『予言』に取り違えてしまう、

そんな人間について言及します。


医者もそんな人間の代表です。

自然経過を治療効果に取り違え、

治療効果を、確定的に、大きく見積もり、

自分の信念を、医学知識に置き換え、

理論を現実だと取り違え、

逸話的な例を法則だと考え、

単なる予測を予言として、患者に話す。


著者の話している内容は、多岐にわたり、半分も理解できていませんが、

その根底で一貫して主張されている内容はすんなり入ってきます。

おそらくは、巻末の多くのリファランスを読めば、

もっと多くのことが理解できるようになるのでしょうが、

自らの未熟を思い知らされます。


ランダム性、バイアス、確率、リスク、こうした問題に興味のある方、

逆に、まったくそういったことに無意識的である医師に、

読んでほしい一冊です。