2012年2月3日金曜日

究極の鍛錬


ジョフ・コルヴァン

究極の鍛錬


名医と言っても様々あると思います。

手術や手技に優れた医師

診断力やコミュニケーション力に優れた医師

研究で優れた業績をあげる医師

弁がたちマスコミうけ、患者うけする医師


いずれにせよ、達人(マスター)と言える域に達している医師がいることは確かです。

さて、達人とは経験によって培われるものなのでしょうか?


今までの研究結果から経験豊かな人と経験が少ない人との能力には格別差がないことが明らかになってきた。
決定的に重要だとみなされている数々の専門領域におけるスキルと経験には、相関関係がないのだ。
こうした現象は『経験の罠』と呼ばれている。
企業は通常、経験のある管理者を高く評価するが、厳格な調査を通じ、押し並べて「経験のあるマネジャーは高いパフォーマンスを出してはいない」という重大な事実が明らかになっている。
また少なくともいくつかの分野ではもっと奇妙な現象すら現れている。
経験を積むことでむしろ能力が低下することがあるのだ。
経験を積んだ医師のほうが経験の浅い医師に比べ、医学知識が少ないというたしかなデータすらある。内科医も同様に、時間の経過とともに心音聴診やレントゲンに基づく診断能力が低下してくる。


それでは、達人とは生まれて持った資質によって培われるものなのだろうか?

いや、達人たちの一般的能力は驚くほど平均的だ。


それでは、達人となるためには、何が必要なのだろうか?

それは、『究極の鍛錬』である。


「最高」「よりよい」「よい」の3つのグループに分けられたバイオリニストの検討によると、毎年1週間どれくらい練習をしてきたか調査したところ、3群ともおなじ51時間であった。
しかし、個人レッスン、自分での練習、クラスでの授業と分けて検討したところ、実際に1人で練習している時間は、3つのグループ間で劇的に異なっていた。
「最高」と「よりよい」グループは一週間で平均24時間、しかし「よい」グループは週にたった9時間しか練習していなかった。
1人での練習は最も重要な活動だが、もっともつらく面白くないものである。
それだけに睡眠自覚を確保する、昼寝をするなど、自分の生活を調整する必要が出てくる。
「最高」と「よりよい」グループの差は何からくるのであろうか?
バイオリンを始めてからこれまで、毎年で一週間にどれだけ練習してきたか概算を出した。
18歳に達するまで最上位のグループは平均で7400時間練習しており、2番目のグループは5301時間、3番目のグループは3420時間練習していた。
累計の練習量が多いほどより業績があげられるのだ。

多くの科学者や作家は20年もしくはそれ以上の時間を献身的に捧げて初めて、輝かしい最高の業績を上げたという事実が判明してきたのだ。
ごく普通の人がごく普通の仕事で、傍目には能力が停滞期に達したように思われてからずいぶん後になっても能力を高め続けることが科学的研究調査でたびたび明らかになってきた。
達人と素人の違いは特定の専門分野で一生上達するために、考え抜いた努力をどれだけ行ったかの違いなのである。


究極の鍛錬にはいくつかの特徴的な要素がある。その要素とは

① しばしば教師の手を借り、実績向上のため特別に考案されている

業績を上げるのに改善が必要な要素を、鋭く限定し、認識することが求められ、意識しながらそうした要素を鍛え上げていく。
一番内側のコンフォートゾーン、中間の円をラーニングゾーン、外側の円をパニックゾーン。
人はラーニングゾーンを強化することで成長する。

② 何度も繰り返すことができる

達人になるものはばかばかしくて飽き飽きするまで鍛錬を繰り返す。
鍛錬はそうとうな数を繰り返すことができるものでなくてはならない。
ただし自動化の回避は必要。
自分がうまくできない点を絶えず意識しながら練習するという鍛錬の本質から、自動化に基づく行動をとることが不可能となる。

③結果に関し継続的にフィードバックを受けることができる

訓練はすきなだけやっても構わないが、訓練の成果がわからなければ、次の二つのことが起こる。
一つは決して上達しないこと、もう一つは注意深く練習をしなくなってしまうこと、大切なのは自分の評価ではない。
先生やコーチ、メンターの存在が欠かせない

④ 精神的にはとてもつらい

したがって心をこめて練習すれば一日中練習し続けることはできないが、一時間半でもいい。

⑤ あまりおもしろくない


究極の鍛錬がもたらす効果は、具体的には、普通の人に比べよりよく認識し、よりよく知り、より多く記憶できるようになることだ。
それにより、普通の人が見えないものが認識できるようになり、先が見えるようになる。
少ない情報から多くを知ることができ、微妙な差異が認識できるようになる。
専門分野の知識は達人の能力の中心的な要素であり、専門分野と切り離すことができないのだ。
一般的な能力と異なり、何年もの究極の鍛錬を通じてのみ最終的に手に入れることができる能力なのである。


日常的に具体的には

(1)まずはどこに行きたいかを知る。

まずはやりたいことを知る必要がある。
成功のカギとなる言葉は「やりたいこと」ではなく、「知る」ということだ。
メンターという存在を、自分専門分野で経験の深い達人として、次の段階で身につけるべき技術や能力は何かを助言を受けたり、自分の訓練でフィードバックを与えてもらえる存在として見直してみる必要がある。
あらゆる訓練活動では何に取り組まなくてはならないのか、またそれがうまくできているか他者からうける評価は非常に重要だ。

(2)3つの訓練の仕方

音楽モデル:プレゼンテーションや文章を書くなど
チェスモデル:ケースメソッド
スポーツモデル:特定のもっと役立つ力や能力を伸ばしたり、固有のスキルの開発

(3)仕事上で訓練する

仕事の前に:重要なのは態度と信念。自己有能感(自分はできるのだという感覚)と呼ぶ強い強烈な信念と、同時に努力は報われるのだという強い信念。結果に至るプロセスを目標に置く。

仕事中に:自分を客観的に観察する。自分自身について知り、自分に関することを考える、メタ認識。

仕事の後で:結果に対して役に立つフォードバックのない訓練は価値がない



達人は、自分の専門分野以外ではたとえ技能に衰えをみせていても、自分の専門分野では高い水準で能力を維持し続けることができる。
考え抜かれた訓練を十分に実行すると、通常回避できない自分の能力の限界を超えることができるようになる。
この限界を超える能力こそ、達人が高齢でも高い能力を維持するカギとなる。

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