2011年4月8日金曜日

リスク ~神々への反逆


ピーター バーンスタイン

リスク ~神々への反逆


医療において、リスク処理は必須の過程である。

治療や検査が100%望むべき結果をもたらすことはなく、

稀な望まない結果(リスク)が起こりうる可能性をどう対処するかに必ず迫られる。


リスクをどう患者と共有するかは非常に悩ましい問題である。


本著では、ギリシャ・ローマ時代から現在まで、人間はどのようにして『リスク』を捉え、

コントロールしようとしてきたのか、

リスクの謎に挑んだ天才たちの驚くべき人間ドラマを描いていきます。

その歴史を通して、リスクとは何かに迫っていきます。


以下要約です。

『リスク』という言葉は、イタリア語の『risicare』という言葉に由来する。

この言葉は『勇気を持って試みる』という意味を持っている。

この観点からすると、リスクは運命というよりは選択を意味しています


何千年もの歴史と今日われわれが生きている時代とを区別するものは何でしょうか?

現在と過去との一線を画する画期的なアイデアはリスクの考え方に求められるのです。


過去、人類がこの境界を見いだす以前には、未来はそれ以前のかがみであり、

漠然とした神のお告げとか予期しうる事態について独占的に知識を有する占い師が闊歩する時代でした。


現在、リスクをどのように理解し、またどのように計測し、

その結果をどのようにウエートづけるかを示すことによって、

リスクを許容するという行為を今日の西側社会を動かす基本的な触媒行為に変えていきました。

リスクに対処しうる能力と、

そのような能力を備えた上でリスクを取りながら将来に向けての選択を行うことこそが、

経済システムを発展させるエネルギー源なのです。


リスクにかかわる物語は、全般にわたって、

次の2つの対立する考え方をもつ人々の緊張関係で特徴づけられています。

一方は、最善の意思決定は計量的手法と数字に裏付けられており、

過去のパターンに依存していると主張する人々
である。

他方は、その意思決定を、不確実な将来に関するより主観的な信念の程度に基づいて行う人々である。

これは未だかつて決着を見ない論争でもある。


そして、雷光に打たれる確率は極めて小さいが、『多くの人々は、雷の音には過度の恐怖感を示す』。

そして『被害を受けることの恐怖感は、単に被害の大きさだけではなく、

その事象の確率にも比例すべきであり』、これはもう一つの重要な革命といってもよい。

この考え方には、事象の大きさと確率の双方が意思決定に影響すべきであることが示されている。

すなわち、意思決定にはある特定の結果が生起することを希望するその期待の大きさと、

その結果が起こりうる確率に対する信念の程度、という2つの要因が含まれる。


(つまり、リスクの要素は、その事象の影響の大きさと、

その事象の起こりうる確率で構成される。

そして、人々がそのリスクに対してどう考えるかに関しては、

影響の大きさや確率を過去のパターンから推測される数字を重要視する人と、

影響の大きさや不確実性に対する信念を重要視する人に分かれる)


そして、リスク許容行為というのは、将来の結果を確実に知ることはできなくても、

既に行った意思決定から生じるある結果にかけることを意味する。

つまり、リスク管理の本質は、ある程度結果を制御できる領域を最大化する一方で、

結果に対して全く制御が及ばず、結果と原因の関係が定かでない領域を最小化することにある。


後は、『平均への回帰』に関する問題、『不確実性』に関する問題など、

リスクに関する多岐の話題を取り扱っていきます。

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